あなたもまた狙われていますよ(No.7)
 
木村 秀美 (事務局)
今回はシンガポールから飛行機でほとんど真東にインドネシアの上を約6〜7時間飛んで到着する太平洋戦争末期の激戦地パプア・ニューギニアでの「九死に一生」を得た事件です。
 
宇宙のどこかに神(?)が存在していて善良なる人間を
暖かく見守っているのではないかと信じたくなるような
出来事でした。事件に係わりそうになったら何をおいても
先ず「逃げるが勝ち」です。     
 
1990年代の後半に私と日本人の工場長Sの二人で缶詰市場の調査のためパプア・ニューギニアを訪問した時に起きた私の生涯で決して忘れることのできない恐ろしい経験でした。 同国の首都はポート・モレスビーにありますが、そこから更に北へ飛行機で約1時間飛んだレイ又はラエ(LAE)と言う同国では2番目に大きい町があります。大きいと言っても町の端から端まで車で走れば20分とはかからない日本で言えば片田舎の町です。
 
レイ(地元ではこう呼んでいます)の飛行場は町から7−80KM位離れていて、土地はふんだんにあるのにどうしてこんな場所に造ったのか疑問が生ずるまったく辺鄙なところにあり、そこには町もなく人もほとんど見当たらず、空港にはタクシーもありませんでした。空港には朝夕一回だけ離着陸する飛行機のためだけに店をオープンするカー・レンタル会社で約2時間掛けてやっと運転手(特別に頼んでレイの町から空港まで来てもらった)付きのオンボロ車をレンタルして町へ出かけました。街中のスーパー・マーケット数軒での価格調査が予定よりも早く終了したので、近くにボタニック・ガーデン(植物園)があると聞いたので、時間つぶしに立ち寄ることにしました。時間はまだ午後2時過ぎで太陽は頭上にありました。
 
私はボタニック・ガーデンの横にきれいに整理・整頓された共同墓地があるのを発見して、先ずそこに立ち寄ることに決めました。運転手に車を日陰に停めて待つように指示して墓地の正面入り口から入って行きました。そこは第2次大戦で旧日本軍と戦って戦死した主にオーストラリア軍の兵士たちが眠っている共同軍人墓地でした。今でも同国とオーストラリアは政治的・経済的関係は非常に深く係わっています。墓碑には享年18歳とか20歳とかと言った若い人たちの死をいたむ親や兄弟そして恋人からの言葉が刻まれていました。その碑文を一つ一つ読んでいくうちに一日本人として胸が熱くなり、自然と旧日本軍の蛮行を恥じ、そして詫び、心から彼らの冥福を祈りました。
 
その後入ってきた道を戻り始めて、車を停めさせた大きな木があるところへは正面入り口に戻るよりも途中から横切った方が近いことに気がつき、墓地の中を横切って近道をすることにました。この時に神(もしこの世の中に存在するとすれば)が私達を救ってくれたのです。
 
私はいつものようにごくゆっくりと(マレーシアで12年間生活したおかげ?)車に向かって歩いていたら、運転手は既にエンジンをスタートさせていました。同僚はと見ると大急ぎで車に飛び乗ってドアーをロックして、何か大声で叫んでいました。何を言っているのか私は理解できませんでしたが、車の先を見ると大きな男達(彼らは全員がとても大きくて頑丈でした)が2−3人、棒のようなものを振りかざしてこちらへ走って来るではありませんか。これは一大事と急いで私も運転手の横の座席に飛び乗りましたが、車は既に動き出していて、ドアーが閉められません。その時、車の右側でガシャと大きな音がして前面ガラスとサイドガラスがこなごなに割れました。右から来た第1番目の男が何かでガラスを割ったのです。運転手も私も割れたガラスの破片を頭一杯にかぶりました。運転手はそれでも正面入り口に向かうために車をUターンさせて右回転をしました。でも私が乗った左前ドアーはまだ開いたままでした。これが幸いしました。車の右急回転の反動でドアーが外側に開いて襲ってきた第2番目の男をなぎ倒しました。これを見て正面入り口で待っていた残りの2名があわててライフルらしきもの
 
を振りかざして向かって来ましたが、運転手はかまわず車を驀進させました。我々は逃げるが勝ちと一目散で現場を離れて街中の警察署に直行しました。一人のお巡りさんが出てきて、我々の車の被害を見てまた警察の建物の中に入ってしまいました。15分ぐらいして別の警察官が停めてあったジープに乗り込みましたが、一向に現場へ向かう気配はありません。私が髪の中にまで入り込んだガラスの破片を一つ一つ取り除いていたら、そばを通りかかった別の警察官は「おまえはシラミ(LICE)(余談:お米はRICE)がいるのか?」と聞いてきた。こちらも腹が立って「違う!今暴漢に襲われてここへレポートに来たのだ。なにをぐずぐずしているのか。お前達は一体いつ出動するのか?犯人が逃げてしまうぜ」と抗議しました。
 
かの警官は「それはわしの仕事ではない」と軽くあしらわれてどこかへ行ってしまいました。警察で気がついたのですが、暴漢が使った凶器は古びて錆付いた銃剣で運転席の横に落ちていました。又、運転手が怪我をしなかったのは、彼の背丈が5Mにも満たず小柄で運転席に座ると外からは頭の先がやっと見えるぐらいだったのです。襲われたとき彼は亀のようにとっさに首をすくめたので助かったのです。もし彼が普通のサイズの人だったら頭か首に大怪我をしていたことでしよう。そして我々の頭蓋骨も今ごろはどこかの部族の家の軒下に吊り下げられて見世物になっているかも知れません。パプア・ニューギニアには今も300から500人単位の部族が数多くいて絶えず権力闘争を繰り返しているとのこと。
 
男女を問わず身体のあちこちに「いれずみ」をしていて、耳や鼻には大きな耳輪や鼻輪をしてハダシで歩いています。又、チュウインガムのようなものをいつも口に入れて噛んでいる(これを口にしていると精神が高揚するとのこと)ために、真っ黒な顔に口だけを真っ赤にした大男や大女の姿は日本人には異様に見えます。ちなみに彼らは首狩族で最近まで人食い人種だったのです。
 
ポートモレスビーに帰る飛行機の出発時間までにはまだ大分時間がありましたが、同僚Sはショックで口がきけなくなり、飛行場へ向かう途中もポートモレスビーのホテルでの夕食も翌日の朝食もスキップしました。彼が自分を取り戻したのは翌日シンガポールへの飛行機の中で機内食が出たときでした。私どもが宿泊したポートモレスビーの5スターホテルも数年前に暴漢に押し込まれたとのことでした。ここへ出発前に、知人からパプア・ニューギニアでは午後5時以降は出歩かないようにと言われていましたので十分注意はして居たのですが、日中に暴漢に襲われるとは思っても居ませんでした。
 
これは事件と関係ありませんが、街中を歩いていて電線に引っかかった面白いものを見つけました。最初は鳥がぶら下がっているのかと思っていましたが動く様子がありません。よくよく見るとなんとそれはペアの靴でした。靴の紐を結んで放り上げてそれが電線に引っかかったものでした。それが1足や2足ではないのです。何十足という靴が電線に止まっていたのです。実際にやってもらいましたが、それは私達が幼いころ日本でも夏の夕方ヤンマと呼ぶ大きなトンボを捕獲するために、両端に石のおもりを付けたひもを空に放り上げてそれをえさと勘違いしたトンボが追っかけてきて、偶然羽根や身体にこのひもが巻き付いておもりと共に地面へ落下するのを取り押さえていました。話を聞きますと工場では安全のため運動靴を支給されるのですが、元来素足で生活している人間に急に靴をはけと言っても馴染まず、これは文明に対する一種の抵抗ではなかろうかと思いました。
 
尚、パプア・ニュウギニアでの現地人の生活については有吉佐和子さんが書かれた「女二人のニュウギニア」(朝日新聞)と言う本が実情をよく伝えていて大変面白いです。 さて、次回は再度ヨーロッパに飛びオランダのアムステルダムで現金・クレジットカード、航空券の入ったアタッシュケースをだまされて見事に持ち去られた事件です。
 
(余談)この連載記事を読んでいただいている或る会員から「木村さん、あの記事は創作ですか?」と聞かれますが、これは全部私自身の実体験談です。